2013-02-28

正義を語ってしまいたくなる

 私がブログを10年も書いていて気がついたこと、そして自分なりに突きつめてことは、そうした自分の「正義」に、どのような根拠があるのだろうか、という謎だった。(中略)
 誰もが自分勝手な正義を持っているから、ぶつかり合うし、言葉の喧嘩のようにもなる。
 しかし私は、正義を語ることは、一種の罠だと疑うようになったし、それ自体間違いかもしれないとも思うようになってきた。

『考える生き方』に書かなかったブログ論の一部:極東ブログ

考える生き方

TPPと公明党



アウトサイダー

2013-02-27

満月

2013-02-26

エクリチュールと漢字


エクリチュール

2013-02-25

冬の月

 日曜の深夜であった。「小野さん」と私を呼ぶ声がした。懐かしい古谷さんの声だった。「嘘だろ?」と振り向くと、屋根の向こうに月が浮かんでいた。

 古谷さんなの? 「そうですよ」。マジ? 「うん、マジ」。

 私は笑った。久し振りに追悼文を読んだせいだろう。自転車のペダルを踏む足に力を込めた。

「小野さん、ダメですよ……」。何が? 「わかっていますよ……」。

 思わず自転車を止めて月を見上げた。

 知ってんの? 「全部わかってますよ……」。ああ、そう。「ダメですからね……」。

 うん、わかった。もう引っ込んでいいよ。「その節はありがとうございました。葬儀の手配までしてもらって……」。よしなよ、と言って私は涙ぐんだ。

 再びサドルをまたいだ。その後も私を見守るように月が顔を出した。

 実はある悪党を懲らしめるために実力行使を目論んでいるところだった。一旦やると決めたら、とことんまでやるのが私の流儀だ。社会のルールや法律を私はさほど重要視していない。

 計画は頓挫した。恐るべきタイミングであった。

 昨年も同じようなことがあった。やはり満月の2~3日前だった。冬の月が私を照らす。

気がつけば月の光

Moon

隕石

 流れ星ならともかく、大宇宙はときに、とんでもないものを我らが星に落としてよこす

天声人語/朝日新聞 2013-02-19

 記者子は天動説を信じているようだ。物事にはミクロとマクロの領域がある。地球が隕石を引き寄せているにもかかわらず、「落ちた」と錯覚するのだ。

2013-02-24

KOKIA

 今日、このページでKOKIAというシンガーを知った。いやはや凄い。現代の巫女(みこ)といっていいだろう。

寅の子文庫の、とらのこ日記

 早速DVDを買わねば。





The VOICE 10th anniversary concert [DVD] Wherever I am~world tour 2009 in Europe~ [DVD] LIVE IN PARIS [DVD]

Wikipedia
公式サイト
KOKIA

【動画】原爆投下 科学者と被爆者 初の対話


2013-02-23

鎌倉幕府の成立は1185年

 かつての通説によると、鎌倉幕府は、1192年(建久3年)に源頼朝が征夷大将軍(以下、将軍)に任官して始まったとされていたが、頼朝の権力・統治機構はそれ以前から存続しており、現在では実質的な成立は1192年より前すなわち1185年であるとする説が支配的である。また、「日本で初の武家政権」とされたこともあったが、今では平氏政権に次ぐ武家政権と位置づけられている。

Wikipedia

16世紀の二大事件


コロンブスによる「人間」の発見/『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

2013-02-22

次期中国外相

追悼文 古谷主任部長を想う

 私的な文書ではあるが公開することにした。古谷さんの名前を残しておくために。

 もう16年も経つのか。私は遺体の横でお母さんに跪(ひざまず)いて泣き詫びた。「何も出来なくて申しわけありませんでした」と。そっと私の左肩に置いてくれた手の感触を忘れることができない。あの日、私の涙は涸れ果てた。それ以降、泣くことが出来なくなった。父が死んだ折にも泣いていない。

 追悼文に書いていないことは多い。神田さんにはずっと見守っていただいた。平井〈区〉副婦人部長は絞り出すような声で「奇蹟を起こしたいね」と言ってくださった。

 そのお二方とも今は亡い。長峰さんも亡くなり、あろうことか小森さんも急逝した。

 また大先輩である冨山さんから「よく戦ったな」とねぎらわれた一言を忘れることができない。

 私はその日、五の橋支部の地区座談会に出席し、司会と御書講義を務めた。どうしても参加できない男子部員のために座談会の模様を伝えようと録音していた。私は古谷さんの話をした。そしてその座談会に長峰副総合長をお招きしたのも私であった。その1時間後に古谷さんは旅立った。

 尚、本文が縦書きであるため漢数字表記をそのままにしておく。



――追悼文――
   古谷主任部長を想う
     第二江東〈区〉男子部長  小野不一


 飄々と指揮を執るあの姿は、もうない。
 少し高い声で笑うあの顔も、もう見られない。
 淡々と語るあの声は、もう聞けない。
 桜花舞い、散りゆく花びらの向こうに彼の面影が浮かぶ――。

 二月二十二日――。それは私にとって生涯忘れられない日となった。厳寒の夜空を満月の光が晧々(こうこう)と照らす午後九時二十分、彼は逝った。享年三十七歳。その余りにも早過ぎた訃報に、多くの同志が胸を震わせて哭(な)いた。

 嗚呼(ああ)、思えば七年前、はじめて脳腫瘍が発見され、成功率五十パーセントの手術を強靭なる生命力で乗り越え、不死鳥の如く広宣の陣列に復帰せしその勇姿。されども、派手な振る舞いを嫌い、大言壮語とは無縁の、水の流れるが如き信仰の心であった。
 ミステリーを好み、モダンジャズを愛し、手塚治虫に惹かれていた彼は、話すことよりも、むしろ書くことの方が得意であった。そのユーモラスな文章は、皆を楽しませ、その場は笑い声で包まれた。

 普段は物静かな彼であったが、悩める友のためには、バスを乗り継ぎ、タクシーをつかまえ、歩きに歩いて激励を惜しまなかった。その恐るべき執念の行動に舌を巻いた後輩たちが「マムシ」と綽名(あだな)したほどであった。
 地を這(は)うが如き彼の闘争は常に成果となって現れた。部長時代は、座談会結集において常に一位。本部長になってからは、平成七年暮れに行われた「二〇〇万結集地区大会」で二四二パーセントの大結集を勝ち取り、見事、総区一位の栄冠に輝いた。勝って奢(おご)らず、負けても腐らぬ彼の振る舞いは、八風におかされない賢人の趣があった。

 彼に再び病魔が襲いかかったのは昨年の八月であった。九月に手術。その結果、腫瘍は悪性で、いたるところに根を張っていることが判った。
 私は信じたくなかった。しかし、ここから戦うしかなかった。必死の祈りを捧げる中で私は悟った。最も地道に戦ってきた彼であればこそ、このような宿命の嵐を呼び寄せることができたのだ、と。彼にしか乗り越えられないが故に彼が引き受けたのだ、と。

 時は静かに流れた。が、憎き腫瘍は目に見えぬところで彼の身体を蝕(むしば)み続けた。皆、祈った。南亀戸本部では三日間にわたって十時間唱題を行った。
 本部担当創価班が、江東男子部が、壮年・婦人・女子部の方々が、更には、未入会の友人までもが祈った。
 真心の祈りに支えられて十一月に入り、一時退院。私が男子部長に任命になる直前に、新体制の一翼を担わんと凱旋するかの如く――。

 暮れに再入院。年が明け病状は悪化。一月十日、危篤との報(しら)せ。直ちに今村部長と病院へ走った。面会時間の過ぎた病室へ向かった。彼は既に言葉を失い、定まらぬ視線の端に私を捉えた。私は彼の左手を握り「大丈夫、絶対に大丈夫だよ」と言うのが精一杯だった。と、彼が右手を動かした。すかさず伸ばした私の手を彼はしっかりと握りしめた。その力に、確かな生命力の手応えがあった。

 そして一月十二日。一時間の外出許可をもらい大田池田講堂にて唱題会。

 集いし十数名の中に、島根より馳せ参じる同志あり。千葉より駆けつけし先輩あり。都下より走り来(きた)る親戚あり。そして、誰よりも心痛める母と弟あり。

 車椅子の彼は、唯一、自由が利(き)いた右腕に数珠をかけ、敢然と御本尊に向かった。宿命の鉄鎖を断ち切らんと心は焔(ほのお)となって妙法の七字を叫んだに違いない。その耳の奥には、我と我が同志の共戦の祈りがコダマした。仏前に掲げた江東青年部旗・太陽の旗は、真実の勝利を見守るかの如く朱の色も鮮やか。そして、我等の唱題でたなびかせる。

 その前日、師より直接、私は聞いた。「悪と戦う者は金剛身を得る」と。心涙で濡らしながら拝した、師から彼へのメッセージであった。
 唱題し終えた彼は生命の威力を増し、皆の手を次々と握った。師弟有縁の地にて今世最後の儀式となる――。
 別れ際に手を振る彼の姿は今でも忘れることができない。

 二月二十二日。川上主任部長と見舞う。その時、彼の身体は既に動かなくなっていた。開かれたままの瞳に光はなかった。しかし、自身の生命に宿りし因果の実相をば厳然と見つめていたに違いない。私が声をかけると呼吸が深くなった。
「わかってるよ。わかってるんだよ、俺たちが来たことが」と川上主任部長。
「興奮しなくていいよ」と私。私は語り続けた。「友人の日高が信心することになったよ」「先生は今、香港に行かれてるよ」「皆で祈っているから大丈夫だよ」――。
 そして題目を数遍静かに唱えた。少しでも長生きして欲しかった。一つでも多くの共戦の歴史を残したかった。
 だが、彼はその夜、逝った――。

 その時、私は不思議にも彼が最後に指導を受けし長峰副総合長と共にいた。
「彼を頼む!」と言われ、「はい!」と応えし丁度その頃に彼は旅立った。

 安らかな顔で眠っていた。長峰副総合長に「必ず勝ちます!」と誓った通りの姿であった。大勝利を誇るかの如き輝きを放っていた。

 午前二時、遺体は自宅に戻る。小森総区男子部長の導師で、駆けつけし幹部等と枕経。終わるや否や男子部長が指をさした。乾いていたはずの左目に涙がにじんでいた。今にもこぼれそうなその一滴(ひとしずく)に感謝の限りが込められていた。

 時が経つにつれ、薄く開かれた眼尻(まなじり)は切れ長になり、口元には笑みが湛(たた)えられていた。柔らかな頬は最後まで硬直することはなかった。荘厳なるその顔(かんばせ)をば、五百人に及ぶ同志は目(ま)の当たりし、妙法の偉大さに感激もひとしお。
 通夜に先立ち、長峰副総合長を棺へとご案内した時の言葉が忘れられない。
「ああ、よく頑張ったなあ。立派だ。おめでとう!」

 日蓮が一門となり通した崇高な人生に、誰もが心で拍手し、最敬礼した。七十年生きても色褪せた人生がある。短くとも光芒を放つ一生もある。人の幸不幸は人生の長さだけでは推し量れない。短くとも偉大な何かを残した人生は、可もなく不可もなき一生の百倍の充実がある。

 荼毘(だび)に付した翌日より二週間ほど温暖な日が続いた。東京は四月上旬の天気。己(おの)が成仏を皆に知らしめんとするかの如く――。

 一人の地湧の菩薩が使命を果たし、今世の舞台を去りし時、陸続と躍り出でたる新たな使命の友あり。その数、四十六世帯。彼の生命の力用(りきゆう)は諸天の働きとなって追い風を吹かせる。

 今にして思う。彼は自らの寿命を縮めて、死亡者多き我が分区の宿命をば転換してくれたのだ、と。

 悲しくとも涙すまい。口に妙法を唱うる時、彼と心は通じる。広布拡大の実践に身を徹しゆく時、彼は共にいるのだから。

 桜花爛漫の候から風薫る五月へ。三世永遠の同志として我々の共戦は続く――。

 彼と巡り会ったことに感謝しつつ――
 彼と戦ったことに誇りも高く――
 彼の存在を我が生命に刻印しつつ――。

         一九九七年四月十一日
            桜花舞う四十九日忌

2013-02-21

『仏教徒 坂本龍馬』長松清潤(講談社、2012年)

仏教徒 坂本龍馬

 海援隊の公式出版物ながら、全く知られていない『閑愁録』。明治2年、一人の仏教改革者がこの小さな書物に深く感動し、龍馬と「仏教ルネサンス」の精神を共有していた――。迷えるすべての人よ、仏教という希望がある。龍馬が目指した、真の明治維新。

人が「変化」を恐れる理由とその対処法


宗教OS論の覚え書き

『いのり☆フェスティバル関西』2013

片柳神父のブログ「道の途中で」

 楽しそう。

2013-02-20

日本のエリート

 中学高校で「詰め込み教育」を受け、大学ではろくに勉強せずに、霞ヶ関や大企業を好み、3年生で内定を受け、会社に入ったら上司の顔色をうかがいながら一生懸命に働き、偉くなったら天下り。これが日本のエリートだ。私がNTTの研究所に入って最も失望したのは、部長クラスの人達全員の頭が自分の「天下り先」このとで一杯だったこと。

Life is beautiful: 日本の大学生はなぜ勉強しないのか

 創価大学の学生自治会から学会本部への就職を狙う学生とよく似ているな。

2013-02-19

現場が悪いらしい

数を集めて殴り合いやら煽り合いやら

 売り上げとかのデータに頼らないとアニメ語れない意識の低いアニオタは匿名の掲示板でもtwitterでもとにかく数を集めて殴り合いやら煽り合いやら意識の低いアニメ論議を交わしてるわけですが。意識高い系の人たちって基本群れてるイメージがないし、意識の低いアニメ原人みたいに石(数字)や棍棒(評価)もって殴り合いしてるイメージもないし。ただただひたすらアニメを消化することによって徳を積む日々を送っているのだろうか。

ツイプレッション : 意識高い系のアニメオタクって普段何食べて生きてるんですか

 会員数を誇る教団も同様だ。

2013-02-18

行躰即信心

 行躰即信心というメカニズムによって日蓮仏法はプラグマティズムに堕した。ここにおいて悟りから離れ、哲学性を失うのは当然である。創価学会初代会長の牧口常三郎は価値論を引っさげ、「真理は価値に非ず」とした。戸田城聖は組織に着目。その組織が宗教性をなくして運動に傾くのは必然であった。1960~70年代における創価学会と共産主義は同じ幹から分かれた二つの枝であろう。オルグ活動と折伏、社会運動と大衆運動、革命の理想、裏切り者への報復、敵対者に対する圧力など、あらゆる面において酷似している。

「カルトに転じうるポテンシャル」さえ持ち合わせてない宗教

2013-02-17

戒律の問題


 これは悟りに近い閃きだった。だが理解できる人は少ない。

儀式と共同体

宿命論と既得権益

2013-02-16

『 ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット:屋代通子訳(みすず書房、2012年)

 10代、20代で宗教をやっている若者は必読のこと。言語学のフィールドワークが異文化理解の本質を解き明かす。著者はキリスト教の伝道師でもある。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

  言語をつくるのはほんとうに本能か? 数がない、「右と左」の概念も、色名もない、神もいない――あらゆる西欧的な普遍幻想を揺さぶる、ピダハンの認知世界。

2013-02-15

言葉は光

2013-02-14

ローマ法王、異例の退位

【ローマ法王、異例の退位】海外各紙はどう報じたか? | NewSphere(ニュースフィア)
【ローマ法王、異例の退位】日本各紙はどう報じたか? | NewSphere(ニュースフィア)

 当然の話ではあるが、病気であってもトップが代わらないとすれば、組織の基本的な機能を疑うべきだろう。

生まれ来る子供に

2013-02-13

屈折


2013-02-11

依存症クライシス

2013-02-10

戒律とツイッター

2013-02-09

読み始める

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書) 新装版 世界一やさしい会計の本です 12歳でもわかる!決算書の読み方~お金のことを知らずに「社会人」になってしまった人の会計入門~

千年後の予約ツイート

2013-02-08

圧縮された情報





外情報/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

2013-02-07

偶然と必然

2013-02-06

佐村河内守〈さむらごうち・まもる〉作曲「交響曲第1番《HIROSHIMA》」



全聾(ぜんろう)の天才作曲家が紡ぐ「闇の音」

 もし、現代に天才と呼べる芸術家がいるとすれば、その一人は、まちがいなく佐村河内守さんだろう。(五木寛之)

 被爆二世として生まれた作曲家は、突然にすべての聴力を失って絶望の淵に沈む。彼の命を支えたのは、盲目の少女との出会いだった。そのとき見出した小さな希望の光に向かい、聞こえない彼だけが聴く「闇の音」を求めて、襲いくる心身の苦痛に耐えながら、彼は今日も、孤高の闘いを続けている。(帯文より)

佐村河内守:交響曲第1番 HIROSHIMA 交響曲第一番

因果は業による報

2013-02-05

《本を読む》植木雅俊著『思想としての法華経』(岩波書店、2012年9月26日刊、3000円+税)「止揚の論理と寛容の思想」「共存と融和を希求する思想」

森田実の言わねばならぬ 2013.2.3(その2)

因果が示しているのは業(行為)の連続性


2013-02-04

空仮中の三諦

2013-02-02

日蓮とマントラ




 これは凄い。卓見だ。ビックリした。私も一時期考え続けた。で、結論が出ないのであきらめた。興味も潰(つい)えた。英知の閃光は脳に電気ショックを与える。そう。感電だ。ウトウトしていた私の目が覚めた。

 脳はリフレインに快感を覚える。例えば歌のサビ部分。また単純な行為の繰り返しも同様だ。ランナーズハイなど。一種の瞑想といえるが、やはり瞑想の本質とは言い難い。

 簡単な思考実験をしてみよう。朝から晩までひたすら唱題をする一生に価値はあるだろうか? ま、やってみなくちゃわからんわな。でも、やっている人がいないのだから「ない」と考えていいだろう。とするならば、マントラ口唱は宗教行為ではあっても宗教目的ではない。

 実は右脳は常に悟っている状態にある。そこから私は本覚思想を読み解いた。

本覚論の正当性/『反密教学』津田真一
本覚思想とは時間論/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ
本覚思想とは時間的有限性の打破/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

 キーワードはやはり「今ここ」である。

 脳科学者のジル・ボルト・テイラーは脳卒中を通して脳という宇宙を体験した。その彼女がこう書いている。

 読経に聴き入ることは、感情と生理を伴う思考パターンに導くために、心を好ましくないループから抜け出させるもうひとつの重要な手段になります。祈りも、好ましくない思考パターンを、意図的に選んだ思考パターンに換えてくれるので、蜂の巣をつついた騒ぎのような言葉のくりかえしから、意識的にもっと平和な境地へ導く手段となるでしょう。

【『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー:竹内薫訳(新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)】

 瞑想とマントラに架橋する一言であると思う。

 若い者は@sinkousya氏に教えを請え。

奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)

脳内出血で悟りを開いたジル・ボルト・テイラー
日蓮がマンダラ&マントラを勧めたのは印刷技術がなかったため
メッセージを発信する者のリスク その二&日蓮とマントラ

思考の肉体化

2013-02-01

習総書記、首脳会談前向き 成果焦った公明を翻弄

MSN産経ニュース 2013-01-26

ヴェーサリーは楽しい


 私はここに呼吸法≒瞑想の境地を感じる。ブッダは獄の中にあろうと、貧困の内にあろうと楽しいに違いない。瞑想はいかなる場所においても可能である。一切の執着、あらゆる束縛から離れる営みが瞑想であろう。そして内なる境涯を楽しむことが瞑想なのだ。

ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)

ブッダ最後の旅 仏陀の足跡を辿る