2013-05-01

遺恨 十年 一剣を磨き



 遺恨とは捻(ねじ)れた怒りの異名である。怒りは「頭に来る」が遺恨は「肚に溜まる」。恨みを晴らすという言葉が示すのは「曇った心」だ。政党、企業、教団、学校が争いに明け暮れている。そして敗れた大多数の者たちが遺恨を抱く。恨みは怒りを自己正当化する。終わることなき争いの輪こそ六道そのものであろう。

「人間が生きる」ということは、「好きなものを得るために行動する」「得られないものや邪魔するものはぜんぶ壊す」のいずれかです。我々の日常生活は、この二つのエネルギーに支配されているのです。

【『心は病気 役立つ初期仏教法話2』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書、2006年)】

心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉 (サンガ新書)