2012-11-30

公明党と共産党が国民政党になれない理由



2009年衆院選総括

2012-11-29

旦那の悪口


 他人の悪口は創価学会員の大好物だ。「人間主義」というのは会合用の言葉である。

原発が示すのはエネルギー問題ではない



 で、公明党はというと、ま、原発容認と考えてよかろう。かつて伏見康治氏を公認したわけだから。

2012-11-26

習近平氏 池田大作・創価学会名誉会長を通じ日中協議要請か

NEWSポストセブン

後付の志で国の命運を左右する大仕事をやり遂げることが出来るのか?

high-gentlemanの日記

モトリニーアとラス・カサス

 モトリニーアはスペイン人植民者の虐待からインディオを保護することに尽くしたが、征服戦争の犠牲となったインディオの死を「邪教を信じたことに対する神罰」と解釈し、むしろインディオが日々改宗していく様子に感激して、常に改宗者の数を誇らしげに記し、新しいキリスト教世界の建設に大きな期待を表明した。しかし、常にキリスト教化の名のもとにインディオが死に追いやられた事実の意味を問いつづけるラス・カサスはそのような歴史認識を抱くことができなかった。

【『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉(渓水社、1995年)】

 モトリニーアのダブルバインドに気づくかどうか。我々の脳は二つに分裂しているゆえに相反するルールを信じることができる。

大航海時代における異文化理解と他者認識―スペイン語文書を読む インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

2012-11-25

カラマ・スッタ

1.人から聞いたというだけの理由で信じてはいけない。
2.どんな伝統も、ただそれが古いからとか、何代も受け継がれているからとか、多くの地域で受け継がれているからというだけの理由で信じてはいけない。
3.噂になっているからとか、人々がよく話しているからという理由で信じてはいけない。
4.昔の聖者が書いた教えを見せられたからという理由で信じてはいけない。
5.自分が思い描いたことを、それが尋常でないことだからといって、神や素晴らしい存在によって啓発されたのだと信じてはいけない。
6.ありそうなことだからとか、長年に渡る慣習のため真実らしいというだけの理由で信じてはいけない。
7.何事も教師や司祭の権限だけの理由で信じてはいけない。 ただ、よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること、善いこと、自他共に、また世界全体に恩恵をもたらすことを真実であると受け入れ、その真実に則ってあなたの人生を送りなさい。

同様の考察が、と仏陀は言う、彼の教えにもなされなくてはならない。「私の教義を私への尊敬のために受け入れてはならない。先ずそれを自分で試してみなさい。金は火によって試されるのだから」。

詭弁家のブラーミンに仏陀は答える。「おお、ブラーミンよ、夜を昼と、昼を夜と主張する人はたくさんいる。しかし私は、夜は夜であり昼は昼であると主張する」。

「仏教の教えの基礎とは何か」ヴェン・スマンガロ長老

カーラーマへの教え:真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

無名のまま死んでゆく若者たち

 胸に勲章を飾った将軍たちは王に愛でられ、
 威勢のよい馬にまたがり、高らかにらっぱを鳴らして行進する。
 その陰で、泥にまみれて城を攻め、無名のまま死んでゆく若者たち。(ジョン・メースフィールド「神に捧ぐ」)

【『戦争における「人殺し」の心理学』デーヴ・グロスマン:安原和見訳(原書店、1998年/ちくま学芸文庫、2004年)】

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

2012-11-24

読み始める

泡沫桀人列伝―知られざる超前衛 はじめての人の電卓操作入門塾

ケーズデンキ、「サービス満足度調査、ケーズが1位・ヤマダ電機が最下位」記事配布→ヤマダが「営業妨害だ」と提訴

暇人\(^o^)/速報

人は歩くことだ

 天下を相手にするには、まだまだその器量を拡大してゆかねばならぬのである。
「旅がよい」
 人は歩くことだ。風光や雨雪が人の心をみがき育てる。その歩みの多さが、すわったときの人の大きさや重みにかわる。

【『介子推』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)】

介子推 (講談社文庫)

宮城谷昌光

2012-11-23

名誉

「名誉は人からさずかるものと、天からさずかるものとがあります」

【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)】

重耳(上) (講談社文庫) 重耳(中) (講談社文庫) 重耳(下) (講談社文庫)

宮城谷昌光

2012-11-22

陰(いん)の謀(はかりごと

「陰(いん)の謀(はかりごと)は、陰の報いしかもたらしません」

【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)】

重耳(上) (講談社文庫) 重耳(中) (講談社文庫) 重耳(下) (講談社文庫)

宮城谷昌光

2012-11-21

公明党が脱原発に本気なら…

ことばの不可思議な働き

「ことばと申すものは、外にあらわれますと、ありえぬことを、ありうることに変える、不可思議な働きをすることがあるものです」

【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)】

重耳(上) (講談社文庫) 重耳(中) (講談社文庫) 重耳(下) (講談社文庫)

宮城谷昌光

2012-11-20

読み始める

フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり (岩波ジュニア新書) 気功革命―癒す力を呼び覚ます

起ちあがるという意志

 かつて地に倒れたことのないもの、挫折したことのないものがどうして、起ちあがるという意志をもち、経験をもつことがあるだろうか。

【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

石原吉郎

2012-11-19

自民党を守りつつ自分の組織を守るために選挙をするのか?




冨士教学研究会のブログ

冨士教学研究会のブログ

公明が比例削減に反対

2012-11-18

『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』 綾野まさる、猿渡瞳〈さるわたり・ひとみ〉(ハート出版、2005年)

いのちの作文―難病の少女からのメッセージ (ドキュメンタル童話シリーズ)

 長らく品切れであったが、やっと増刷された。

猿渡瞳

他人を増上慢呼ばわりする人物

「瞋恚(しんに)は善悪に通ずる」のか?

 ・他人を増上慢呼ばわりする人物

怒りを甘くみてはいけない
セネカ「怒りを有益なものと考えるわけにはいかない」

 ちょうどいいサンプルが見つかったので紹介しよう。


 @jun_s2030氏は編集の仕事をしているようだ。で、彼は391人のフォロワーの前で見知らぬ人物を「増上慢」と罵っている。その気安さからは彼が「安全な位置」にいることが窺える。多分マンモス教団の一員なのだろう。彼は怒りを正当化する。


 では、世界中でなされている怒りに駆られた行動をご覧いただこう。

Darkness

 左カラムの画像をよく見ることだ。

 そして驚くべきことに同じ人物が次のように書いている。


 彼は「自戒」してからちょうど1ヶ月後に他人を増上慢と「裁断」したわけだ。編集を生業(なりわい)とする人物でありながら、分裂気味の言葉を平然と綴っているのだ。彼は確実に「自分が正しい」と思い込んでいる。その錯覚が恐ろしい。しかも周囲には注意をしてくれる人物もいないようだ。類は友を呼び、自分を見失ってゆくのだろう。


 信仰とは自語相違の異名なのかもしれない。

レトリックに騙される人は多い

国王陛下の反対党

 自由ならざる社会においては、他と異なる者は犯罪者である。しかし自由な社会においては、政治的自由の完璧な表現としての「国王陛下の反対党」こそ、社会において欠くべからざる部分であって、明日の統治者ともなるべき存在である。

【『ドラッカー名著集 9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉訳(ダイヤモンド社、2007年/岩根忠訳、東洋経済新報社、1958年)】

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり

ドラッカー

2012-11-17

「瞋恚(しんに)は善悪に通ずる」のか?

 ・「瞋恚(しんに)は善悪に通ずる」のか?

他人を増上慢呼ばわりする人物
怒りを甘くみてはいけない
セネカ「怒りを有益なものと考えるわけにはいかない」

 下書きのまま放置してあったのだが推敲する時間がないためアップする。

 日蓮遺文の「当(まさ)に知るべし瞋恚(しんに)は善悪に通ずる者なり」(「諌暁八幡抄」真蹟曽存)に関する覚え書き。

 始めにいくつか確認を。

『諫暁八幡抄』の御真蹟は、全体の約3分の1(前半部分)が身延の大火で焼けて、全体の約3分の2(後半部分)が、現在、大石寺に保管されています。

メールマガジン「日蓮大聖人の御書を拝して」今泉寬眞

【検証】諫暁八幡抄に切り貼りされた竜門御書の日蓮花押
続き

 そういえば、最も身近な『蓮師真蹟に後加された異筆』は、石山の「諫暁八幡抄」でしたね。(独学徒)

冨士教学研究会談議所

 私には「後加された異筆」であるかどうかがわからないため、一応真蹟曽存としておく。本文では直後にこう続く。

 只不軽のごとく大難には値ふとも、流布せん事疑ひなかるべきに、真言・禅念仏者等の讒奏に依て無智の国主等流難をなす。此れを対治すべき氏神八幡大菩薩、彼等の大科を治せざるゆへに、日蓮の氏神を諌暁するは道理に背くべしや。尼倶律陀長者が樹神をいさむるに異ならず。

 つまり日蓮の「瞋恚(しんに、しんい)」=怒りは法華経の行者を守護せぬ八幡大菩薩に向けられたものであることが明らかだ。注目すべきは不軽菩薩を引用していることで、ここから「怒り」の感情を正当化したものではないことが読み取れる。

 ところが、である。創価学会では池田vs.阿部紛争以降この切り文を引っ張りだして日蓮正宗を口汚く罵り続けた。機関紙である聖教新聞には紙上座談会なるプロパガンダ記事が連載され、怒りの矛先(ほこさき)は公明党元委員長の竹入義勝氏や矢野絢也氏にまで向けられた。

聖教新聞社殿御返事善無畏三蔵抄

 特に次期会長と目される谷川佳樹氏の発言は致命的だと思われる。

 私も含めて殆どの創価学会員は気づかなかったわけだが、結局こうした言論活動を通して創価学会は暴力を容認したものと考えてよい。そもそも意図的に差別用語を盛り込んでまで相手を罵詈讒謗(ばりざんぼう)することが宗教性であるはずがない。

 何度でも書くが「教義は解釈されるもの」だ。情報は受け手によって歪められる。知覚ですらそうなのだ。そして教団は自分たちに都合のよい解釈を施して信者に与える。そう。一種のエサみたいなもんだ。

 瞋恚(しんに)が善悪に通ずる、というのはもちろん仏法ではない。当たり前だ、そんなことは。三木清だって同じようなことを言っている。

 今日、愛については誰も語っている。誰が怒について真剣に語ろうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るということは今日の人間が無性格であるということのしるしである。
 切に義人を思う。義人とは何か、── 怒ることを知れるものである。

【『人生論ノート』三木清(創元社、1941年/新潮文庫、1954年)】

 哲学レベルでさえ、「他者を攻撃せよ」「敵を罵れ」とはいっていない。ただし執着の強い連中であれば、日蓮遺文の「責める」という語句を持ち出して怒りを正当化することは可能だろう。ま、勝手にしろ。

 ブッダは怒りを否定した。筍子〈じゅんし〉ですら否定している。

 快快にして亡ぶは怒ればなり。察察にして殘(そこな)うは忮(さから・逆)えばなり。(筍子)

諸子百家争鳴

 スッタニパータは「蛇」の章から始まる。冒頭はこうだ。

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

 怒りを「蛇の毒」に喩(たと)えている。既に毒が回った連中からすれば信じ難いことだろう。日蓮正宗信徒を罵倒する創価学会員は多分こんな表情をしている(逆もまた同様)。

is

 上は道行くパレスチナ人女性を悪罵(あくば)するイスラエルの学生で、下はエリザベス・エックフォードを罵ったヘイゼル・ブライアントの写真である。当時15歳。アメリカで黒人の登校が許された初日に、エリザベス・エックフォードは帰宅せざるを得なくなった。周りにいるのは通行人ではない。彼女を追い回す白人どもだ。

 旧ブログでパレスチナの画像を紹介したところ、「残虐すぎる」という声が寄せられた。自分たちの暴力性に鈍感な連中が叫ぶ正義ほど信用ならないものもあるまい。

 尚、ブッダが説いた怒りについてはアルボムッレ・スマナサーラが軽妙な語り口でわかりやすく説いている。これを読んでも目が覚めない連中は、一生毒に酔ってもらうしかない。

比企大学三郎能本

比企能本〈ひき・よしもと〉
比企能員〈ひき・よしかず〉
比企氏
源頼家を中心とした 人物関連図
比企一族系図
武蔵の比企氏の系譜
比企能員の変
妙本寺
鎌倉:妙本寺の開基・比企能本
鎌倉寺社巡り その3 妙本寺
妙本寺訪問記
たたり神について
大学三郎御書(日蓮筆)
比企一族

 ・比企尼(ひきのあま)

安冨歩著『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』を推す





 あらゆる集団・組織が安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉を必要としている。

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

「東大話法」に騙されるな
岡真理
友岡雅弥

2012-11-16

恐怖こそが祈りの原動力かもしれない




2012-11-15

人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる

「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる」

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明訳(晋遊舎、2006年)】

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

2012-11-14

座談会・小沢裁判とは何だったのか 摘まれた首相の芽

毎日新聞 2012年11月14日 東京夕刊

カルトの見分け方

カルトを見分けるのに分かりやすい特徴を箇条書きにするなら、以下のような点を挙げることができるでしょう。これらをチェックしていけば、その宗教がどれほどカルト性を持っているかを知ることができます。必ずしもカルトが以下のすべての特徴を有しているわけではありませんが、その大部分が当てはまるなら、カルトと考えて差し支えないと思います。

1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する
2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
3.自分の頭で考えることをしないように指導する
4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える

総論:カルトに関する基本的理解

カルト教団から家族や親友を守る法 マインドコントロールの解き方

2012-11-13

陸山会事件がなければ小沢一郎が総理大臣になっていた



スピリチュアルとは

 スピリチュアルとは「間違っていても信じたい」と思うことです。それに対して科学とは、徹底的な吟味をし、自分で打ち立てた考えを自ら批判し懐疑するものだということです。すなわち、「自分の考えはひょっとして間違っているのではないか?」と疑う。つまり、「自分は絶対に正しい」とか「これで安心」といった思考停止をしないということなのです。

【『スピリチュアリズム』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】

スピリチュアリズム

『スピリチュアリズム』苫米地英人
スピリチュアル系創価学会員に告ぐ

2012-11-12

野田首相、年内解散の意向固めた

共同通信

ああ、それこそが数学なのだ

いや、嘘だ。その話は正確ではない。もう少し正確に言うなら、「この担任が理解できようが理解できまいが、数学的に見て正しいものは正しい」と私はある日、気づいたからだ。その担任の鼻を明かし、私自身の矮小なる自尊心を満たしたところで仕方がないのだと気づいたからだ。

そのことに気づけたことは、私にとってまさに僥倖であった。ああ、それこそが数学なのだと思った。

やねうらお-よっちゃんイカを食べながら、息子語録を書き綴る

2012-11-11

マルクス主義とカルヴァン主義

 マルクス社会主義は、知的にも理念的にも、またその歴史的な役割においても、著しくカルヴァン主義に似ていた。

【『ドラッカー名著集 9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉訳(ダイヤモンド社、2007年/岩根忠訳、東洋経済新報社、1958年)】

ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり

ドラッカー

2012-11-10

読み始める

自分を変える気づきの瞑想法【増補改訂版】 苦しみをなくすこと―役立つ初期仏教法話〈3〉 (サンガ新書) 悟りの階梯―テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造 (サンガ新書)

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― 解錠師〔ハヤカワ・ミステリ1854〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) 電卓で遊ぶ数学―これぞ究極の電卓使用術 (ブルーバックス)

あらゆる伝道師の心の奥深くには…

2012-11-09

人はすべての信念を疑うべきである

 人は当然ながらすべての信念を疑うべきである。なぜなら精神は、とりわけ信念によって自分自身を欺く傾向があるからである。

【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ:大野純一訳(めるくまーる、1993年)】

気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

精神は信念によって自分自身を欺く傾向がある
ススナガ・ウェーラペルマ

2012-11-07

ジョン・デューイは国家による組織的宣伝の推進者だった

◆組織的宣伝の初期の歴史

 まず、近代政府による最初の組織的な宣伝活動から始める。
 それはウッドロー・ウィルソンの政権下で行われた。
 1916年に、ウッドロー・ウィルソンは「勝利なき平和」を綱領に掲げて大統領に再選された。第一次世界大戦のさなかのことである。世論は平和主義一色で、ヨーロッパの戦争にアメリカがかかわるいわれはないとされていた。
 しかし実際には、ウィルソン政権は戦争に関与していったので、何らかの措置を講じる必要が生じた。政府主導の宣伝委員会――いわゆる「クリール委員会」――が設立され、半年足らずでみごとに平和主義の世論をヒステリックな戦争賛成論に転換させた。
 戦争熱に浮かされた人びとは、ドイツのものをことごとく破壊してやりたい、ドイツ人を八つ裂きにしたい、戦争に参加して世界を救いたいと考えるようになった。ウィルソン政権によるこの作戦は大成功であり、さらには別の成果にもつながった。
 戦中から戦後に、ヒステリックな「赤狩り」をあおるのにも同じ手法が使われ、組合をつぶし、報道の自由や政治思想の自由といった危険な問題を排除することにも首尾よく成功したのである。これにはメディアと財界からの非常に強力な支援があった。さらに言えば、メディアと財界はこの作戦のほとんどを組織し、推進したのであり、それは総じて大成功をおさめた。
 ウィルソンの参戦の意向を積極的かつ熱狂的に指示した人びとの一部は、ジョン・デューイを中心とする進歩的な知識人だった。デューイをはじめとする人びとがそのころに書いた文章を読めばわかるとおり、彼らは自分たちのような「社会の知識階層」が、躊躇する一般の人びとを鼓舞して、戦争にかりたてることができたことをたいへん誇りにしていた。実際には、人びとを怯えさせ、狂気じみた好戦的愛国精神を引きだしただけなのだが。
 このときに使われた手口は半端なものではなかった。たとえば、ありもしないドイツ兵の残虐行為がいくつもでっちあげられた。両腕をもぎとられたベルギー人の赤ん坊など、ありとあらゆる暴虐の結果が、いまでも歴史の本に載せられているぐらいだ。その大半は、イギリスの宣伝省によって捏造(ねつぞう)されたものだった。彼らの目的は、当時の極秘審議録に書かれているように、「世論の動向を操作する」ことにほかならなかった。
 だが、それよりも肝心なのは、彼らがアメリカ社会の知識階層の考えを操作しようとしたことだ。そうすれば、その連中がイギリスによってでっちあげられた宣伝を広め、平和主義の国を好戦的なヒステリー集団に変えてくれる。
 その思惑は当たった。みごとに当たった。そして、これが一つの教訓となったのである。国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに支持されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む。この教訓は、のちにヒトラーをはじめとして多くの者が学び、今日にいたるまで踏襲されている。

【『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー:鈴木主税〈すずき・ちから〉訳(集英社新書、2003年)】

メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

ノーム・チョムスキー

2012-11-05

宮沢賢治と斎藤秀雄

 花巻に帰った賢治からは後日、自費出版した『春と修羅』と『注文の多い料理店』とが送られてきた。1933年(昭和8年)に37歳で没する賢治が生前に出版した著書はこの2冊だけである。

【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)以下同】

 賢治はチェロを習うためだけに、新響の練習所に来たのだろうか。オーケストラの練習も貪欲に見学したのではないだろうか。もし、そのとき賢治が斎藤の姿を見ていれば、『セロ弾きのゴーシュ』に描かれた楽長のモデルが斎藤である可能性も出てくる。

 オーケストラでヴァイオリンを弾いてきた川原日出はこう語る。 「『セロ弾きのゴーシュ』を読んだとき、楽長のモデルは斎藤さんだと思いました。彼の指揮ぶりを見ていたら誰だって絶対にそう思う。日本人の指揮者でああいう人は彼以外にはいないんです」  賢治は『セロ弾きのゴーシュ』には愛着を示して推敲を重ね、最終稿を仕上げたのは没する年の病床でであった。

 何と斎藤秀雄と宮沢賢治には接点があった。人と人とのつながりが描く稜線の不思議さに心が震える。

嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)
(※左が単行本、右が文庫本)
斎藤秀雄
宮沢賢治

2012-11-04

自己肯定感が低いと、「べき思考」の世界で生きることになる





 いやあ、すっかりシラユリくんのファンになってしまった。フォローはしていないけど、毎日見ている。

2012-11-03

空のマトリクス

Oh My Buddha(おう まい ぶっだ)空のマトリクス

師弟不二と依法不依人について


「よき問い」は「答え」をはらんでいる。そして精神的に自立した人のみが「よき問い」を発することができる。ネット上で初めて「痛い信者」という言葉を目にした時、私は「負けたよ」と思った。自分の頭でものを考えることを放棄し、大事な判断を他人に委(ゆだ)ねる姿をわずか4文字で表現していたからだ。

 普通に考えれば答えは簡単に見つかる。つまり、この問いは「普通に考えられなくなった創価学会員の思考」をも突いているのだ。

 依法不依人の教えが仏法であることに異論を挟む者はいないだろう。ブッダの遺言であった。その真意は「自帰依(=自燈明)、法帰依(=法燈明)」にあった。

依法不依人

 これが法四依(ほうしえ)によって意味を書き換えられる。「了義経に依りて不了義経に依らざれ」との項目を盛り込むことで「自帰依」の意義が透明化されたのだ。経典が後世に編まれたものである事実を踏まえれば、ブッダの言葉=了義経とはならないはずだ。ここに根本分裂を巡って上座部(じょうざぶ)と大衆部(だいしゅぶ)の双方が政治的思惑から、仏法を啓典宗教に貶(おとし)めた足跡を見てとれる。

宗教には啓典宗教とそれ以外の宗教がある/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
宮田論文に関する覚え書き 9

 またぞろ余談が長くなってしまった。あとは簡略に述べる。

 これに対して師弟不二は仏法の教義としては認められない。ブッダも日蓮も師弟不二を説いていない。日蓮の場合は「部分的に該当する文言がある」だけの話だ。創価学会における師弟不二の教義は、池田第三代会長になってから導入されたものであり、牧口初代会長も戸田二代会長も主張した事実はない。

 戦略としては十不二門(じっぷにもん)に準拠するようなイメージ作りであったのだろう。

十妙と十不二門

 既に書いた通り師弟不二はグルイズムそのものであり、グルイズムが正しいことを証明しない限り師弟不二の正当性は成り立たない。

師弟不二と人間主義

「血脈」とは「形を変えた自我」である。その意味から申せば、創価学会における三代会長は「創価学会の自我」であると考えられる。ここから「人間革命」という名の「自己実現」に向かうことは避けようがない。最大の問題は諸法無我を無視して、諸法実相を実存主義レベルで語っていることである。

奇妙な形態のグルイズム
創価学会では教団内に権威主義が保持されている(島薗進)
元信者たちの手記 70~77

気づいているか? ネット内にある2つの勢力の危険な対立を

「情報を暴露しようとする勢力」と「情報を隠蔽しようとする勢力」の戦いは、次の4つの動きを加速する。

(1)誹謗中傷の激化 (2)囲い込み、会員制 (3)ブロック・フィルタ (4)監視・規制強化

いずれも、インターネットを制限させるものである。

鈴木傾城〈すずき・けいせい〉】

2012-11-02

なぜ、ルールの多い組織では仕事の質が低くなるのか

 私たちが目指すべきは、より高いレベルのモラルを身につけることです。ところがルールを強調しすぎると、ルールを守ることが目的化して、モラルが軽視される逆転現象が起きる。過剰なルールが、かえってモラルの低下を引き起こすのです。

横田尚哉

ビジネススキル・イノベーション ― 「時間×思考×直感」67のパワフルな技術

衆議院本会議代表質問:東祥三(国民の生活が第一・きづな) 2012年10月31日

 傾聴に値する演説であると思う。

小沢一郎代表の姿が浮かぶ東祥三幹事長の代表質問に、衆院本会議場はヤジ1つ飛ばず静まり返った、なぜか?

2012-11-01

戦争犯罪人キッシンジャー容疑者と対決 人口削減論


 マルサス主義的陰謀論は「先進国が増えない」現実を鑑みれば、軽々しく嘲笑うわけにはいかない。その尖兵ともいうべき存在がローマクラブであった。アウレリオ・ペッチェイは原因不明のヘリコプター事故で死亡したが、暗殺説を唱える人が多い。

人口問題の問題
キッシンジャー

Kindleが正式リリース